初めての海外、Parisひとり旅(その2)

L'Oprea de PARIS
「日本の方ですか?」(はい。)「お隣に座ってもいい?」(どうぞ。)と、わたくしの隣に座った。「ここで日本のお方にお会いするとは思いませんでした。わたくし、xxxx,yyyy。よろしく。」(こちらこそ。)・・・
フランスの女性から日本語は思いもよらなかったが、その人の流暢な日本語で話を聴くと、
彼女は十代の時に九州の五島列島に数年して、すっかり住み慣れていたそうだが、
永住するわけにも行かないので、しかたなく母国に帰って、いまは日本人子女限定のツアコンをしているといっていた。
だから日本語で流暢なわけだ。 お堅い日本からおとこひとりで来ているので関心が湧いたようだったが。
しかし、こっちは他所の国の高級レストランなのでコチコチで、そのときはデートのお誘いだとしても、親しく自然な会話にはならなかったのです。
Petit Palais
こちらは Grand Palais
パリ万博(1810年)のときに造られた建物という。
そのはかに面白かった話は、といっても・・・なかなか思い出せない。 その時期のパリはどこでも邦人を見かけた
が、みんなかなり浮いた感じがして、何となく見てはいけないもの、を見た気がした。
Grand Palais (市役所に使用されていた)
←Palais Chaiyotシャイヨー宮と庭
le Chanps de Mars シャン・ド・マルスひろば
この広場にも木馬あった (仏:Carrousel,英:MerryGoesRound)
何を買うにも通じない言葉、馴れない食べもの。しかも骨董や美術文物に対する関心はそれほどではなかった。
いま振り返ると、ろくに準備もせず、よくひとりで行ったとおもう。(でも、いまだにひとりで歩いているけど・・・)
le Ponte de AlexandreV アレクサンダー3世橋
そういえば、ちょっと高いところから、パリという都市をながめたくなり、北のSacreCoeurs寺院に行った。
寺院の中は小さな礼拝堂だった。四日目か、もう五日目のことだ。
あまり小さいので礼拝堂の奥に進んでみたら、ベールに包んだ子供を抱えるかっこうの、マリアさんがあった。
像は全身が純金でできていた。 そうわかると自然と出た涙が、止まらなくなった。情緒不安定。
ふと振り返ると、そこに、牧師が立っていて、「なにか話したいことがありますか?」と聞いてきた。
わたくしは当時、失業していたが、就職をどうすれば良いか? などと聞いてもどうなるというのだ。
それに牧師さん(しかも外国の)に告解するほどの、深い罪は犯していない、と思ったので、やや慌て、
Non!Rien.と否定した。 牧師は馴れた様子で「日本から来たのですか?・・・そうですか。
ではパリを楽しんでいきなさい。」と笑ってかえした。
ここにくると、国籍の如何に拘らずどんな人も、少なくとも敬虔に、そう見えるのかもしれない。
フランスの歴代偉人の眠る PANTEON
写真を撮っていると数発の号砲とラッパが鳴り、1人(1棺)の入場式典が挙った。 簡潔な式の後は、ふたたび静かになった。

(初めての海外、Parisひとり旅 終わり)
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