第6日目(ソウル市仁寺同から昌慶宮、夕に成田へ)

 翌朝、目覚めると7時だった。4千円の朝食なしだから、荷物は午後4時に戻るので預かってもらいすぐ出た。
地下鉄Bomun(普門)におりてソウルの地下鉄に乗り、ChonnoSamga(鐘路三街)で地上に上がる。
ここから景福宮まで、ハングルだらけの珍しい韓国の風景を眺めて、10分のところを30分かけて歩いた。
 とちゅう仁寺洞に家具、絵画、ガラス、照明、陶磁器、楽器、民族衣装、小道具屋など、王朝時代からの、
あらゆる伝統産品の店があられた。
一帯は19世紀まで続いた朝鮮王朝の城下だったことが、その背景にあるとあとでわかった。

  
 ↑静かな森に囲まれた、昌慶宮(ChangGyokKun)

この宮殿では、ひとりで静かに見ることが出来た。 奥に入ると当地の歴史が戦後に再開された春秋の伝統行事として
緑豊かななかに展開されている様子を紹介するVTRが流れる。

 現代と中世の混じった街を歩いて10時半ころ、昌徳宮についた。 ひときわ大きい。
ひとりで見学したいので入り口はどこかといったら、2度聞いて2度とも「日本お方ですか、ツアーがすぐ始まります、すぐいってください。」といわれた。
なんど訊いてもおなじ。ようやく個人参観を許していない実態がわかった。

 結局この直近のツアーは見送った。次の一般参観(見学ツアー)が出るのは12時半だ。ゆうに2時間あるので
西へ1km歩いて、慶福宮にある国立民俗博物館ですごした。 とちゅう、洒落た隠れ処のような食事処がたくさんあった。
 
 ↑五重塔のように見えるのは国立民俗博物館(無料)。入ったら驚くほどの外国人で、大人気なのであった。

 
  慶福宮(GyonBukGun)の中は、古代からの朝鮮モニュメントの庭園。 国際児童美術館もある。


 12:30直前、昌徳宮へもどって、例の窓口で日本人向けツアーの切符を入手。 
すこし待ち、向うからきたガイドさんと対面、ご一行で出発。 ガイドの金さんは純粋に地元の出身といった。
 
                    ↑昌徳宮の正門。 

  

 
 ↑いっせいにデジカメを振り翳す某国の観光客群。いまや日本のナショナルアイデンティティー?名物なのだろうか。

  
  


  

  

  
  ↑おくまった大造殿は茶と白の築地塀に囲まれた小さな宮殿。

 1905年の日本韓国併合の時、李王家の息女方子さまは梨本宮殿下と政略結婚され、ここに住まった。
 質素で夫婦仲が良かったという。 しかし日本の敗戦、ソ連と米国による朝鮮戦争と続く荒波のなかで
日韓による王家は一代で断絶した。

   
木々が池をかこんでいる、秘苑でご一行は休憩。↑

  
 帰り際に歩いた道、もみじは、きれいであった。

 離宮の城壁は、第二次大戦で日本軍に破壊された。現在は建て直されている。

(北京−ソウル旅の終わり)

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