北京 第2日目 10/19火曜日 故宮博物院と御花園(後宮)







天安門から始まる門の数は十個近くもあり、門の前に進んでは眺め、また進む、を繰り返した。
いくつも門があるが、一向に奥の院に達しない。 3つくらいくぐったところに太和殿と言う御殿があって
かなり見晴らしの利いた高台になっていた。
どれも大きいのだが最大のは、こうしてみると、初めに見た太和殿だったと思う(右左は50m以上はある)
すぐ裏にある保明殿から西北方に、あの万里長城のある青い山も見えた。
内塀の中にも、左右に櫓のような御殿がそびえていた。
しばらく看ていると、櫓の向こう側に出口があるらしく、三々五々、人が出て来るのが見えた。
入り口をさがすと、門のすぐ右脇だ。 なかは清朝歴代皇帝の肖像画が並び、通路はL字に曲がっている、
通路沿いに皇帝たちの揮毫や掛け軸、愛用品の文具、刀剣類、皇后の櫛、宝石の付いた首飾りがあった。
皆んな外との景色ばかり見ているが、ここの見学は見逃しかねない。



最後の門の後方に「御花園(WuHuaYuan)」という、ひと息付けられる所にきた。
本殿の中のもの観たさに人の過密に群らがるのは、どうしようもない、
中国というより、アジア人の気質だ。 ところで中国の団体はすぐ判る。
赤や黄色の帽子の隊伍をなして、次つぎ入場してくるのだ。
マレーやシンガポール辺りの東南アジア人や欧米人も見かけるが、
圧倒多数は中華人民共和国の人。 それは言葉で判る。
デジカメを持った香港、上海、北京の人々は持ち物も着る物も
私達日本人と同じなので、外見では正直なところ判別できない。


北京は中国でも外国人の多い街と聞いたが、この混み様は。

故宮は北京の他所よりも観光客に、中国系が多い気がする。
百件新聞、不如一見的現実。


ここは一刻も早く、やり過ごすのが賢明とおもわれた。




太保殿、保和殿、乾徳殿と、大きい建物のスナップだけ撮影し、
約25分で故宮のすぐ後方の門を出た。 しかし、そこにも観光客が大勢いた。
御花園という、後宮(いわば江戸城の大奥)の庭園になっていた。↓
混んでも、わりと静かで記念品や美術品を買ったり食事ができる地区になっており、
東西の外国人も多い。ベンチで休憩するひとも多くいて、ほっとした。

時刻は11時半で、自分は東西に分かれた両翼にいた。
故宮はその先へ、まだ続いていた。(なにがあるか見ていないので)ここで食事するのは尚早だった。
さらに東の塀の先へすすんだ。
東の塀の門をくぐると、幅が10~5mくらいの路地になり、しっかりした築地塀の壁が囲んでいた。
そういった路地は、また十字・鍵の手に入り組んで、迷路状になっていた。

その中に、かつて歴代皇帝やその親戚が居館であった宮殿があった。
これらの建造物と展示物を1つ1つ、じっくりと観れた。
西から始めて東のウィングまで、ほぼ観るのを終えた頃、14時をまわっていた。
紫禁城からの退場時は何のチェックも行列も無かった。拍子抜けする。
西門の前に、1皿10元くらいの食堂があった。あっさりした炒飯とスープを腹におさめてひと安心。
北方向にあるはずの戦後日中国交の功労者の1人、郭松若の旧居へ歩いて向かった。
大路を西へあるくが郭氏の旧居が見えてこない。路上に中国建設銀行のATMがあった。
想いだしCitibankCardで200元をおろし、なお西に歩くと
「公王府」という扁額の庭園が見えてきた。
しかし目的は郭氏の旧居だった。向こうからの人込みを避けながら探した。
付近の路地を2、3度行き戻りして、さっき通った路地を1つ東へカットすると郭松若の旧居はあった。
しかし、門の前にいた先生のような人物が、にっこりと看板に手をかざし、
「すまないねえ。今日は休館日なんですよ。」
時刻は16時過ぎ。 胡同(旧式庶民住宅街)の家並みに、北京の夕陽が沈むところだった。
このあとは西に居並ぶ北京大学の医学部や付属病院などの前を歩き、地下鉄に乗って、
西単(シーダン)で北京の新しいショッピングモールを見た。
17時過ぎに、北京のまちを散策を兼ねて、街路灯の少ない道を歩いた。
しかし宣武門から、和平門まで歩いてしまっていた。 ずいぶん空腹なので
この和平門で、なまずの水炊きスープとご飯を食べた。また少し元気が付き、
閉店後の骨董街の琉璃廠を南へ歩いた。 するとホテルまであと数キロと判ったので、
虎坊路、北緯路を経てホテルまで歩いた。
この日は合計で15km、8時間半も歩いていた。
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