北京 第2日目 10/19火曜日 故宮博物院と御花園(後宮)



 朝7時過ぎていた。 8時頃2F食堂でかなりシンプルな朝食、8時半にはホテルを出た。
ホテルは南衛北路に虎坊路が交差する南角から南東に5分の所にあった。
 周囲を15分ほど歩いてみたら、公園があった。

朝の中国の公園はいつも何かがあるので、5元を出して入った。
ラジカセのテープをバックのダンスが繰り広がり、その種類も様ざまだ。

 でかい筆に水で歩道に漢詩などを書いている。 書道の練習から始まった中国に特有の趣味だ。
すぐに乾くので乾く先からまた詩を書く。 この公園は真中に20mほどの丘があり、
格好のいい松や高い岩がおいてある。

  
 
その周りでやる太極拳は、いくつも野外の集団がいる。各流派に境いがなく多様である。
ここは老人が多いので、体操のほか社交ダンスが多く、エアロビやディスコダンスは少ない。
この時は剣舞が人気のようだった。
時計を見ると、もう9時を過ぎており、公園を後にした。 

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なによりも、はじめての北京では、故宮博物院(紫禁城)を見なければならない。(だろう)
公園出口でタクシーを拾って初めは故宮へと告げたが、広場に近づいて群衆を見てるうちに
想いついて、タクシーの行き先を天安門広場に変更した。
故宮へ付けると奥なので時間がかかる。
どうせ入場で並ぶから、ここは正しく(?)正面から入りたいもの。

 天安門1km てまえの「前門」には、万里の長城や明の十三陵へ行くバスと、旅社(旅行代理店)の 勧誘員たちが呆然の態で客待ちしていた。
その「前門」から、紫禁城のほうに歩いていった。

   
毛主席祈念堂 までは、徒歩で数分で達した。人民広場はやたらと広い。

  

天安門前から入場券売り場まで進むのに20分はかかった。

 
 さて問題はその入場券だった。外国人だといっても、同じで、列のどれかに並ぶしかない。
約15分で窓口前まですすんだ。しかし、買う直前に割り込まれ、なかなか窓口に立てない。
 買おうとすると、前に誰か割って入って買っていく。 もう馬鹿らしくて買う気も萎える。

(※ こういう混雑する場所の状況は、故宮を出るまで正確には、空港を出るまで繰り返された。)

 すきを見て窓口に現金を押し込み「外国人、一箇人」と告げる。
すると故宮(博物院)と花園(後宮)のセット券が出てきた。
 これでよし。だいたいの重点は見れる。



 切符をもぎ取る(入場改札の)行列でも同じ状況であった。こちらの前進を無視して割込んだのがいた。
追いついて袖を引っ張って進んでみると、何か叫んでいた。自分は大またで進んだ。
 ここで行列のルールがないとするならば、どちらにも優先権はない。

 

 

 

 

 天安門から始まる門の数は十個近くもあり、門の前に進んでは眺め、また進む、を繰り返した。

 いくつも門があるが、一向に奥の院に達しない。 3つくらいくぐったところに太和殿と言う御殿があって
かなり見晴らしの利いた高台になっていた。

どれも大きいのだが最大のは、こうしてみると、初めに見た太和殿だったと思う(右左は50m以上はある)
すぐ裏にある保明殿から西北方に、あの万里長城のある青い山も見えた。
内塀の中にも、左右に櫓のような御殿がそびえていた。

しばらく看ていると、櫓の向こう側に出口があるらしく、三々五々、人が出て来るのが見えた。
 入り口をさがすと、門のすぐ右脇だ。 なかは清朝歴代皇帝の肖像画が並び、通路はL字に曲がっている、
通路沿いに皇帝たちの揮毫や掛け軸、愛用品の文具、刀剣類、皇后の櫛、宝石の付いた首飾りがあった。
皆んな外との景色ばかり見ているが、ここの見学は見逃しかねない。

 
  
 

最後の門の後方に「御花園(WuHuaYuan)」という、ひと息付けられる所にきた。
 本殿の中のもの観たさに人の過密に群らがるのは、どうしようもない、
中国というより、アジア人の気質だ。 ところで中国の団体はすぐ判る。
赤や黄色の帽子の隊伍をなして、次つぎ入場してくるのだ。

 マレーやシンガポール辺りの東南アジア人や欧米人も見かけるが、
圧倒多数は中華人民共和国の人。 それは言葉で判る。
デジカメを持った香港、上海、北京の人々は持ち物も着る物も
私達日本人と同じなので、外見では正直なところ判別できない。



  
 北京は中国でも外国人の多い街と聞いたが、この混み様は。
 


 故宮は北京の他所よりも観光客に、中国系が多い気がする。
 百件新聞、不如一見的現実。
  

 

 ここは一刻も早く、やり過ごすのが賢明とおもわれた。

 

  

 

 

 太保殿、保和殿、乾徳殿と、大きい建物のスナップだけ撮影し、
約25分で故宮のすぐ後方の門を出た。 しかし、そこにも観光客が大勢いた。

 御花園という、後宮(いわば江戸城の大奥)の庭園になっていた。↓
混んでも、わりと静かで記念品や美術品を買ったり食事ができる地区になっており、
東西の外国人も多い。ベンチで休憩するひとも多くいて、ほっとした。

 

 時刻は11時半で、自分は東西に分かれた両翼にいた。
 故宮はその先へ、まだ続いていた。(なにがあるか見ていないので)ここで食事するのは尚早だった。
さらに東の塀の先へすすんだ。

 東の塀の門をくぐると、幅が10~5mくらいの路地になり、しっかりした築地塀の壁が囲んでいた。
そういった路地は、また十字・鍵の手に入り組んで、迷路状になっていた。

 

その中に、かつて歴代皇帝やその親戚が居館であった宮殿があった。

これらの建造物と展示物を1つ1つ、じっくりと観れた。
 西から始めて東のウィングまで、ほぼ観るのを終えた頃、14時をまわっていた。
紫禁城からの退場時は何のチェックも行列も無かった。拍子抜けする。

 西門の前に、1皿10元くらいの食堂があった。あっさりした炒飯とスープを腹におさめてひと安心。
北方向にあるはずの戦後日中国交の功労者の1人、郭松若の旧居へ歩いて向かった。
 大路を西へあるくが郭氏の旧居が見えてこない。路上に中国建設銀行のATMがあった。

想いだしCitibankCardで200元をおろし、なお西に歩くと
「公王府」という扁額の庭園が見えてきた。
 しかし目的は郭氏の旧居だった。向こうからの人込みを避けながら探した。
 付近の路地を2、3度行き戻りして、さっき通った路地を1つ東へカットすると郭松若の旧居はあった。

しかし、門の前にいた先生のような人物が、にっこりと看板に手をかざし、
「すまないねえ。今日は休館日なんですよ。」

時刻は16時過ぎ。 胡同(旧式庶民住宅街)の家並みに、北京の夕陽が沈むところだった。
このあとは西に居並ぶ北京大学の医学部や付属病院などの前を歩き、地下鉄に乗って、
西単(シーダン)で北京の新しいショッピングモールを見た。
17時過ぎに、北京のまちを散策を兼ねて、街路灯の少ない道を歩いた。
しかし宣武門から、和平門まで歩いてしまっていた。 ずいぶん空腹なので
この和平門で、なまずの水炊きスープとご飯を食べた。また少し元気が付き、
閉店後の骨董街の琉璃廠を南へ歩いた。 するとホテルまであと数キロと判ったので、
虎坊路、北緯路を経てホテルまで歩いた。
 この日は合計で15km、8時間半も歩いていた。

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