ローマからフィレンツェへ 11月9日(日)

 フィレンツェへはIC特急列車で 

なにしろ6日でヴェネチアへ回るつもりだったので。
ローマは1日と半日で切り上げ、12時すぎ発のイタリア国鉄の 特急列車 IC(InterCiti)の1st クラスを一枚買った。
 発車する番線を探すと時間ぎりぎりになって、発車直前にホームの奥にいた列車に乗った。

超高級な車内では、威勢のいい小父さんと愛想のいい小母さんペアが新聞雑誌、飲み物お菓子をサービスする。

 ローマからフィレンツェまで、最速の特急でも2時間あるので、車窓の風景を楽しめる。
ほぼ全面がガラス張りと言える車内からは、なんでも見えてしまう。
 遠くはブルー、近くはグリーンの山々に、見え隠れする田園地帯の
トスカーナの田舎の家々と、ときどきは羊や牛の群れ、まるで絵画そのもの。

いまさっき近代美術館で観た絵とそっくりな景色が展開するのに、正直驚いた。
これが当たり前の中部イタリアの田舎風景かと。

 フィレンツェで 

14:26到着。フィレンツェの駅は線路のままに細長いが人影は少ない。
いま話題の町にしては、閑散として拍子抜けした。
どこも高さ10mくらいの建物の壁で囲まれている。街中そのまま城郭のようである。

 駅Informazioneで紹介してもらったプチホテルへ向かう。10分ほど西へ行った川縁りの大きな建物の中にあった。

この建物は入り口のドアが重く頑丈で、一般のアパートの一部らしかった。 ホテルのオーナーは40がらみの心の温かそうなパパだ。
 2階に家族と住んでいる。 男の子が時どき上からpapa?っと呼んでいた。 

すこし狭いけど天井の高い部屋に荷物を置いて、オーナーとカギ開けの予行演習してから、さっそく街を見に出た。 
出口のドアが重くて、時代を感じさせた。
 フィレンツェの新旧市街を二分するアルノ川のほとりをメインの広場へまっすぐ。対岸の新市街の景色や店舗をのぞき見しながら歩いた。
コジモ1世銅像の立っている観光の中心、ヴェッキオ宮の前のシニヨーリア広場に来たときは、もう16時になってしまっていた。

 だけど人通りは数人〜10数人のグループが引きも切らない。駅付近の閑散とした様子とはすっかり変っていた。
 たそがれ時になっても、旧市街側からベッキオ橋のほうへやってくる人の数は、俄然増えていた。
もちろん、その9割がたが観光客とみえた。話し言葉から、多いのは英語独語仏語西語、中国語、日本語、韓国語の順番か。
 もちろん、耳をすませば、なんとなくイタリア語もきこえる気がする。
東洋人よりも西洋人は特徴があるので推察しやすい。



まちの川側をほぼ見終わったあと、装飾雑貨店をのぞいて、レストラン探しついでに、19まえ、橋にもういちど寄ってみた。

ベッキオ橋上の人通りはピークに達していた。
 半分くらいは何かで酔っパライのような若い人が十組くらい、あちこちで抱きついたりしていた。
ひとりでいるとばかばかしいので、川向こうに渡ると、左がわに旨そうなジェラート屋があった。
わりとシンプルなメニューに惹かれ、のども渇いていたのでかって食べたら美味かった。

夜もふけたし歩いたし、その上レストランが少なくて空腹がこたえた。
 19時半ころ、繁華街と宿とのちょうど中間にあった、やたら照明いいTratteria(軽食)でイタリア最初のレストランの夕食をした。
いま思うと不思議だが、そのとき、むしょうに焼き魚が食べたくなり、聞くと、Spigolaという旨い!魚がありますよ、というので
注文したら、魚の丸焼きで、あっさりしたソースの懸かったままのを運んできた。三十〜四十代のシェフが、大皿のスズキを
目の前で魚肉を頭付きの骨とわけてくれた。 しかし食べてみるとそれが炭だらけで不味い!
 ほかにオーダーした料理は生野菜のサラダ、コンソメスープとパン、リゾット、地元の不味いグラスワイン、でも値段は50∈
行ってしまった。 イタリアで最初の自前のオーダーであったが、これはイタリアでの食事の失敗でも、最初となった。
 重いお腹と沈む気分を抱え、げっぷをしながらAlbergo(プチホテル)のmyRoomへこもった。



 フィレンツェで(2) 11月10日(月) 

 翌朝6時ころ、目を覚ました。 昨日の宮殿のあたりまでは歩いて30分ほど、その先も観ないと。
今朝は開館よりも前に歩くために、ゆるりと支度するオーナーに悪い気がしたけれど、朝食はとらないで出かけた。

 開館前からの行列があったウフィツィ美術館では、ときおり4、5組の日本の団体さんと交ざりながら、観覧した。 
どのガイドさんも、日本人なのによく知ってるなーっと感心する。彼女らの頭のなかに間違いなく数冊の本がある。
向こうの方が取り囲むので一緒になって聞いてみたが、あまり時間が許してくれない。
 人気の対象はやはり絵画に集中していたが、なかでも、ひときわ色が鮮やかなのは『ビーナスの誕生』『春』など
絵の規模が大きいので(足を休め易いし)固まった人影は、ボッティチェリの絵の前から、なかなか動かなかった。 

 おせっかいになるが、長い廊下の上方に、天井近くの両側、延々と並んでいるお偉い面々の肖像画については、
どうして誰もすこしも説明しないのか? 普通の人でも何回も観に来てれば、少しは気になると思うけど。


日曜日なので、おおかたの教会は通常お休み。 Duomo(有名なフィレンツェのドウオモ「花の聖母教会」)も塔には、
上れない。 教会が開くのも午後の1時間だけ。

 こういうときは、おとなしく他所を見るのがいい。 川をはさんでベッキオ橋の向こうにある、ピッティ宮殿は
さらに時代が下った15世紀(ルネサンス末期)の財宝が観られる。例によって、大理石彫刻や木製家具、貴金属装飾もあるに違いない。
 ふつうの団体ツアーではないので、珍しいものが見れるかもしれない。
 旧市街ヴェッキオ宮の広場で、Paniniイタリアパンで昼食したあと、アルノ川に懸かる橋の向こうのピッティ宮殿に上った。


 【ヴェッキオ宮殿とシニョーリア広場のあいだの露天アーケード】

行ってみると、ピッティ宮の入り口はウフィツィ美術館に劣らない行列ができていたが、
殆んどヨーロッパ人で日本からの団体もいない。
 まわりをみるとヨーロッパの人だけだ。ということで、現地編成ツアーのようになる。
ここは建物はピッティ宮殿の1角だが、なかに3つか4つの博物館が併設されており、
2Fは別の近代美術館などになっており、自分の入ろうとするパラッティーナ美術館の
入っている建物の3Fも、このときは服飾歴史博物館を併設していた。

 ここの3Fとは、要するに王侯貴族の応接間、居室、寝室、そして礼拝室があり、天井から壁、床、絨毯のすべてに、
金銀エナメル・大理石、極彩色の装飾が施されている当時のままのものだ。絵画はあくまでその一部に飾ってある。
このほかに宗教的な歴史のあるものが別の部屋に展示されている。
 ここにある家具は、今日でもかなり高い水準の技術と思われる、木材・瑪瑙・宝石の象嵌細工と、モールド(装飾金具)
を散りばめたイタリア家具の傑作がある。 パリで見たものに比べるとピッシリと造りが良くて、精巧にできていそうだ。

さらに、保存状態の良いタペストリー、超特大のシャンデリアがいくつも下がっている。仏ロワール川畔に幾つもある城で
も観覧できなかったものだった。
 (やたら写真に撮るという、恥ずかしい東洋人日本人の評判を定着させたくないから撮影はしない)


 【午後6時ころのヴェッキオ橋の中ほど】

もう1日泊まるなら、ここの2Fや宮殿裏のボーボリの庭園を散歩もいいが、北方向への旅をするので外へ出た。
まだ12時まえだった。 午後3時前に次の目的地へ出発する列車に乗るとしたら、見れるのはあと1、2箇所だ。
駅でくれた地図をみて2,30分歩いてみたがアカデミーア美術館とやらが見つけられず、
目的を今一つ達することができない。

 ふさわしいと家から履いてきた革靴も痛む。 駅前広場に近づいたので駅によって列車の時間をみたら、
 フィレンツェから、イタリアン・リヴィエラ経由でジェノバに行く列車は、ピサ、ラスペツィーアで乗り換えて、
 5時間はかかる。その路線に特急クラスはない。 つまり今日中に行くならば、すぐに発たなければいけない。

 痛んできた足に、少しでも先に行きたい気持ちが働き、切符を買ってしまった。
 14時に発つとなると宿に荷物をとりに戻らなければならない。急ぎ足で宿に帰る。
 プチホテルの主人は、連泊を予想していたので少し残念そうだ。 ゆっくり朝食もとって連泊すべき
 だったろうか。 いまは惜しかった気がする。

 この宿、プチホテルは、シャワー、TV、朝食も付き、案内所の紹介料込みでも50数∈ユーロなので格安だ。
 駅の案内所からの紹介でも、この充実振りはフィレンツェならでは、のことだと、あとで知った。
 チェックアウト時の会話で、以下(Enlishで)話して出てきた。 
 自分 「イタリアのリビエラを是非見たいのでちょっと急ぐんだ。」
 ご主人「そうですか。今日泊まってくれれば、2日目からは駅の紹介料もなく
      そっくり40ユーロ頂けると思いましたのに、それは残念です。
      ジェノヴァに行くんですか。 あそこの景色はMoltoBello最良だ!
      きみの行くところ、ずっと天気だといいね。」(あとで、この時期の北イタリアは通常は悪いと知る)
 自分 「フィレンツェは面白いとこがたくさんあるけど、今回はとても全て見れなかったから、
      きっとここに、いつかまた来ることになる気がします。すみません。」
ご主人の話す英語はゆっくりとわかりやすく、ベーシックなプチホテルで市内を観るには最適だった。

 また駅に戻って、Pizaピサ行きのローカル列車を待つこと少しで2等の席に乗った。
発車の時間はちょうど、昨日ローマでこの街に向かう列車に乗ったと同じ、14時半ころだった。

 20時間たらずのフィレンツェ滞在でした。 


 ジェノバの宵闇 へ

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