サン・レモ (イタリア・リヴィエラ) 11月12日 



 イタリア鉄道のサンレモ駅は、きりたつ山肌にくりぬかれたトンネルの中に、ちょうど斜面から
海に向かうかたちで出口がある。小さな明り採りの窓のようなのが、シェルターのような駅の出口なのだ。
 いま降りた人は、じぶん1人も含めて数組でパラ、パラという感じ。

 駅前がほっとする広場で、案内図で周辺の位置をみると、西へ海沿いの繁華街の先、街はずれにカジノの建物がある。
そこまでの距離は約2キロほどで遠くはない。 歩くと左側にちらほら、プレジャーボートの浮かぶ港が見えた。

 毎年ここで有名な(だった)音楽祭が開かれるのは、冬2月のことだ。
その会場になる建物でも見ておきたいと思った。しかし、さほど大きな建物はない。この季節は
なかば閉鎖されているようだ。 ともかく、カジノの辺りまで歩いてみることにした。


 ヨットハーバーの水をみるときれいだが、ひとの泳ぐようなビーチはありそうになかった。
おそらくこの街中にないか、あっても街の外れらしい。


 たくさんヨットの係留されたハーバーがいくつもある。


 海に面して、オープンカフェが10数件ほど並んでいる。
夏になると、多くのビーチベッドがここに出だされ、日光浴する人々であふれる。

 かつて、二月のサンレモ音楽祭は、全欧の歌手の登竜門といわれた。
その時期はヨーロッパじゅうから関係者で、賑わうのかもしれない。しかし、
春から夏とクリスマスは別として、晩秋のいまと1月安売りのSoldeの頃は、閑古鳥が啼く。



 晩秋の今は、テラスで食事と話に興じている客が少しだけ。
繁華街の外をあるいてみると、おしゃれながらも、ほっと息の点ける田舎だ。

せっかくだから、サンレモのショッピング事情?も見ておきたいので、
港から歩いてすぐのメインストリートに戻った。

 どの店も開いているけどお客が入っていない。まして買い物している姿は見られない。
 ウィンドをみると、いい品物はすくないし、値段もたかい。
ヨーロッパのバーゲンは夏のシーズンと1月−2月なので、それ以外は商売にしないのだろうか。
 店の種類は、皮革バッグ・靴の店、アパレル店、それと別荘を扱う不動産ショップがめだつ。

中心部はちょっと路地に入るとレストラン、Tratteria(軽食屋カフェ)、Paticceria(お菓子屋カフェ)、
Pizza屋、Gelato屋などが固まっている。 さすが地方なので食べ物はやすい。(Gelatoも3ユーロ)
ホテルが駅と繁華街の間にあったので、値段を訊いてみると1泊朝食付き50ユーロであった。

 駅前で見た案内板のとおり、町の西の外れにカジノがあった。
建物の正面に、小さく"Cassino di San Remo"の看板。 この札がなったら見すごす
ところだった。 外部の化粧直し中なので、よけいに目立たない。

 カジノの建物の背後に、町を取り巻くように、山にむかって道路が上がっている。
その先まだ何かを期待して登ってみたが,15分ほどで繁華な町並みは終わっていた。
しかし、小さなホテルやレストランは所々に見かけた。
 しかし、数10m高いそこから見た景色で、海岸に貼り着いた町の様子がよくわかった。

 
 【教会の裏からヨットハーバー港方面を見たところ。 この右下にCassinoがある】

くにゃりと曲がった坂道を戻りながら、どうするかを考えた。 時刻は15時半。19時過ぎの帰り電車まで、
まだ数時間ある。このまま町にいて、できることと言えば、夕飯には早く、市立博物館はストライキで見物できない。
街角のウインドショップは、さっき看た。 せっかくの国際観光地だから、カジノに入ってみようと決めた。
と、思いきりはよかったが、初体験の人にとって、いくつか段階があった。 


 カジノ サン・レモ 


ここでしたカジノ体験のことを、せっかくだから、書いておく。

まず正面階段を上がって1F玄関に入ると、素敵な制服を着たドアマンがアテンドしている。
すぐ左にスロットマシンの部屋、右にクローク室、そして奥にカウンターがあった。
しかし、カジノらしいルーレットやカードはどこへいったらできるのだろう・・・?
そこでドアマンに片言イタリア語で、でも遊び方知らないんです、というとすぐ、
女性のホストを紹介された。彼女は英語で楽しい施設の説明を、サラッとした。

 まずクロークでコートやバッグを預け引き換えに番号札をもらう。
すぐ隣りのカウンターでシートに名前、生年月日、住所、パスポート番号などを書くと入場カードを作ってくれた。
 2Fにあがって、そこにいたホストに、どうしたら入れるか、イタリア語で聞こうとしたら、
つうじなくて、Can you speak Franch? と訊かれ、"Oui,jePuis."いつの間にかフランス語で話していた。
どうも彼はフランス出身らしい。
 彼に渡したら「これは電子カードです。あなたが亡くなるまでつかえますよ!」
カードを入り口のパネルにかざすと、ガラスのドアが開いた。
 2Fフロアがお目当ての場所だった。(外国みたいに)両替Cassierで遊ぶためのコインを買う。

数台あるテーブルに近寄って、面子を見たら、いかにも常連、怖そうな兄ちゃんがその場所の空気を
かもしていたので遠巻きにして、向かいのルーレット、ブラックジャックの机を見た。
 ほかにフロアには金額の大きなポーカー、ルーレットなどのテーブルがあったが
盛り上がってないというより、プレイするメンバ−が居なかった。

よく考えると、昼の3時の時間に賭博する人間のほうが珍しいんだった。
 遊びが好きな連中は五万と居るはずだったので、もう1つ先にあった小さい部屋をのぞいた。
ひと目で、そこが自分の入る場所じゃないのがわかった。白髪や白髪混じりの老人でいっぱいだった。
或いはかつてのギャンブラーの溜まり場なのか。
その数は30〜40人。 話し声、タバコの煙で充満していた。
 ここで思いがけず、ヨーロッパのギャンブルの高齢化を目の当たりにした。
裏を返せば、ということは、稼ぎ盛りの現役の人間はここで遊ばないか、遊ぶとしてこの時期ではないのだ。


 大部屋に戻ってルーレットを眺めた。しばらく試験勉強して、ギャンブルはご無沙汰だったから
みんながどう見当をつけて、どこにいくら張っているのか、眼で追いつかない。
2、3回みんなの動きを追いかけても、わからない。
 決心して、勝負できる現金50ユーロすべてを「黒」においた。
これで負ければおりて退場できる。


【 サン・レモ駅に近いヨットハーバーから見えたCassino】
ルーレットが回って出た目は黒。 今度はどこに置こうかと考えたが、儲けるために来たんじゃないから、
キャッシャーでユーロにまた戻し両替して退場した。 すごく恥ずかしくて、やや低頭しながら出た。
 張った金額も小さくて、少しの時間で出たから、小さい肝っ玉のことを証明した。
いちげんさん、お覗きみたいだった。 ともかく無傷で出られてホッとした。
自分は少なくともギャンブルは向いてない。




かえりがけに、地元民のレストランを探したが、掻き入れどきをはずしたためか、レストランの大半は閉まっていた。
しかたなく駅への道の途中、近くで炒飯を食べたが、ほとんど具の入らないバター炒め。おいしくなかった。
 その1つ先には、パスタのメニューが良い感じのレストランがある。来たときにも前を通っていた。
ここで食事したかったなあ、と見詰めたが、まさにあとの祭りだった。

帰り19:24発の電車の切符は、今朝ジェノバ駅で買ってあった。 1時間ほど港から街を眺めたり、
旧フェスティバル会場の建物の椰子の林を見たりして、定時に来た列車に乗って帰った。
(ジェノバから片道所要2時間半、特急2等の往復で25ユーロ)

 ジェノヴァからミラノへ

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